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「伊織と千早と蒼い鳥」






伊織と千早と蒼い鳥、について。



『SSについて』
世の多くの表現と呼ばれる形態は、脳内のイメージを音楽絵画写真彫刻映像などの
メディアを媒介として相手に伝えるという道筋を辿る。
映像から受け取った感情を文章に再構築するのが当ブログの形態なので
同じように文章を媒介とするSSについて書いたところで
ただの縮小再生産にしかならないだろう。

SSに描かれる物語は彼の脳内の事実の羅列に過ぎず、
読者の分け入る隙を与えてくれてはいない。
tlopの伊織と、tlopの伊織と組んだ千早という限定的な条件を付けられた
2人の主人公の物語だ。決して一般化はされない。
だからこそ深く、だからこそ確定的に感情を描き出せるんだ。
彼は独壇場を作り出した。

一般化されないとは書いたが、公式や多くのMADに出演するエンディング後
(あるいはL4U以降)の伊織や千早は、必ずこの物語にあるような経験を積んでいる。
MASTER LIVE ENCOREでの千早の言葉などはこの動画の「その先」として、
1年後(だが年はとらない)の姿、像としてそこに在る。

別に公式や他のプロデューサーの千早や伊織が同じ経験を、
デュオを組まされて蒼い鳥を歌う経験をする必要はない。
ただゲーム開始時点の彼女たちと現在の彼女たちの間にある道程には必ず
自分で気付かなければいけない乗り越えていかなければいけない壁がある。
tlopの伊織とその相方となった千早にとっては
その壁はこういうものでした。というのが今回の物語なんだろう。


『SS×MADについて』
動画、映像というメディアは感情を込めるという方法論について些か不器用だ。
大容量の奔流も小さな囁きも内包するに適しているが
それ故に見過ごされる要素が発生しやすく、
端的に言えば脳の処理が追いつかない事態に陥りやすい。
その欠点を補うための手法がSS×MADだと言えるかもしれない。
視聴者に予備知識を与え、意識の矛先を収束させて
映像の世界に没頭させる役割を果たしている。

副作用として、舞台背景が固定されてしまい
映像に対して枷としてはたらいてしまう場合がある。
僕がこの動画から感じた伊織と千早の像は彼の定義したものとは違ったが、
その場合僕の感想が不正解だということになる。(その感想については後述)
アイマスのノマPV素材は個人が数ヶ月思い悩んで構築した程度の感情よりも
ずっと深くずっと広くずっと生々しい感情をいつだって秘めている。
その素材から「切り出す」手法のMADPVでさえその広がりを
オミットする、せざるを得ない背反を背負っているのに
SS×MADの形態は基本「構築する」メソッドであるから
より極端に価値観は鋭敏化する。槍のような動画になる。

ただtlopはSSを背景とせずともずっと世界観を「構築してきた」Pだ。
既存作のうち、どれをとっても恐らくその背景には物語が存在する。
とすれば彼にとってはこの手法の採択は、その作りこんだ背景を
文章というメディアに固めてアウトプットするか否かの違いでしかないんじゃないか。
そして大事なことに、そんな工程を経ていながら彼の動画は
一つとして槍のような鋭敏で愚直な印象を抱かせない。
もちろんこの蒼い鳥についてもそうだ。

一見実験的で挑戦的に見える今回の手法は、
実は彼にとっては慣れっこの方法論なんじゃないか。
どこか別の方向に新しい表現を求めた結果ではなく、
今までのtlopが確実に踏み固めてきた地盤の上にある表現法がこのSS×MADだ。


『誤読について』
SSというガイドラインによって先鋭化された意識は、
視聴者から周辺視野を奪い価値観を固定化させる。
(もしかしたら視聴者だけでなく作者の目まで眩ませたのではないかとも思う)
この動画では蒼い鳥を巡る二人の対立やそれを乗り越えていく様が
クローズアップされるが、それらがクローズアップされすぎるがゆえに
大前提となっている彼女たちに共通する感情 すなわち
最高のステージを創り上げるという目標がおざなりにされる。
前半から中盤にかけての展開があまりにも緊張感にあふれ刺激的すぎたために
大サビからアウトロにかけて凝縮される多幸感が燻ってしまった印象を持った。
映像は完璧にその姿を捉えて切り出しているのに、
視聴する自分の心は揺さぶられたまま帰ってこれなかった。

言うまでもなくこの一篇の物語のクライマックスは間奏部から大サビ前までにある。
伊織と千早を結ぶ止揚が結線された瞬間に最大のエネルギーを込めて然るべきだし
SSや冒頭部前半部に配置された布石はそこで爆発すべきだ。
だがそれでも伊織と千早が血道をあげて目指したのは
そんなドラマティックな爆発ではなくて完成されたステージだったはずだ。

演者である二人にとっては、最高のステージを目指すという
目標のための結果があの間奏部だったのに対して
物語の外側から眺める僕たちの目には
あの瞬間に向けて高められた爆発の結果がアウトロのステージに思えるという
完全な逆転が引き起こってしまったんじゃないかと思う。

ことわっておきたいのが、これは決して構成上のミスや何かではないという点だ。
クライマックスに溢れた感情が大きすぎたから少し抑えよう、
なんて意識に手を出してしまえば途端に動画は作者の心から離れて
ただの完成度の高い動画に成り果てるだろう。
彼はきっとただ自分の中に見えたリアルを遂げようとしただけだ。というエスパー。
(いや言っちゃえばこの記事全体がエスパーなんだけど)


『千早について』
イントロ入りの眼力UP。いろんな感想をブログなどで見ると、
このカットは千早の絶対的な自信を表していると解釈されている。
動画を何度見てもSSを読み返しても、僕はそんな感情を読み取れない。
この千早はただ必死なだけでしかないと感じた。

千早はすでに知ってしまっている。自分の旧来のメソッドが
いかに孤独でひとりよがりの閉じた世界であったかを。
だが新しいステージを描くためにはまだこの時点での千早では足りない。
まだ手を取り合う経験が未熟であり、伊織とでは両翼を形成できない。
(余談だが、ML ENCOREでの千早はここから大きな進化を遂げていて、
 「演奏者を歓ばせる」までの才能を開花させている)

BESTではなくBETTERを選択したのは伊織だけじゃない。
千早は限界の知れた方法論に身を投げざるをえなかった。
彼女の顔と歌声からは余裕が消える。
今の自分にできる最大限を、いや、最大限を超えたステージを実現するために
あらゆる技法と能力を注ぎ込むことになる。

この動画の第1コーラスは、そんな彼女の「孤独なステージ」だ。


『伊織について』
伊織はこのステージを最高に導くための鍵を、当日既に持っていた。
そしてその鍵が、乱雑に扱えばすぐに壊れて崩れてしまう物だということも知っていた。
伊織は聡い。恐らく765プロの誰よりもクレバーな心を持っている。
自分の手の内にある全てのスキルや武器となるものを常に把握して、
感情ではなく勝算を基準にそれらを運用する。

何が言いたいのかというと、このステージで第1コーラスの間伊織は「待った」。
失敗すれば滅茶苦茶になるような一本撮りの本番に
大博打を仕掛けようと決意をしていたにもかかわらずだ。
当初の予定通りの展開をなぞることに全力を傾けた。
千早とともに飛ぶための呼びかけを成すための機は
ステージのさなかにしか無いと確信していたからだ。

そんな伊織のプランが支払う、ステージの尺の半分、というコストはあまりにも大きい。
カメラの前に立ち、自身の存在を聴衆に見せ付ける、
という伊織のアイドルとしてのアイデンティティからすれば
それは片腕を切り落とすに等しい痛烈なロスだ。
その全てを了承して、伊織は千早の仮面を付けてステージに上った。
これが伊織のプロ根性の姿だ。


『伊織と千早について』
動画冒頭から取り立てられる二人の対立の構図は、
決して1つの曲とステージを「奪い合う」属性のものではない。
事の発端の時期にはたしかにそういう感情で動いていたのかもしれないが、
互いの本気に触れるにつれていつしか完全に反転していた。
2人で1つのステージを完成させるために
相手に足りないものを「与え合う」属性の衝突になった。
本番中はもはや互いに目線を交差させることも無い。
2人は肩を並べて上を見る。

千早が間奏後のステージを伊織に譲り渡したのは、
伊織の言葉を挑戦として受け止めてそれを受けたからではない。
伊織の存在がこのステージに両翼を広げるためのピースであると
千早に確信させることに成功したからだ。
手を結ぶために手を結んだのではない、
ただ最高を目指すための合意として彼女たちは手を結んだ。

あの頭の固い千早を落としたのは、今回の伊織の大金星だ。
ここでようやく伊織のステージの時間は動き始める。
それまで夢幻の概念だった「最高のステージ」が、やっと胎動を始めた。
ここまで来ればもう伊織は無敵だ。
なにせ彼女の持ち歌はHere we goなのだから。


『伊織と千早と蒼い鳥について』
かくして最高のステージは、2:35を境にこのスタジオに降臨する。
千早の表情に余裕が戻り、天衣無縫の歌声が鳴り響く。
もはや伊織が前に出る必要も無い。ここにきて初めて、
伊織の本質であるステージとの完全に融合する姿が表出する。
(彼女が仮面を付けている限り、どんなに完璧に演じようと最高のステージには届かない)
恐らくこのステージは、二人にとって共にアイドル人生のなかでも
最も高い位置に押し上げられたはずだ。
スモークが厚い雲に見えるほど高く、二人は大空を舞う。
そして訪れるラストカット。ここで視聴者の知覚は終わる。
このまま二人の魂が大空に吸い込まれて帰ってこれなくなるんじゃないか、
と心配するほどにこの瞬間のステージは現実離れしている。
見ていた僕がしばらく帰ってこれなくなってたし。


『動画表現について』
というここまでの話は、この物語自体についての話だ。
この物語が動画となりより視聴者にダイレクトに届くためには
多くの表現技法が道を広げることとなる。

この記事を書き始めた当初はここでスクリーンショットなどを交えながら
いかに緻密に細かい変化に目を向けてカットをはめていったかを語る予定だったが
別にそんなの見りゃわかるじゃん、と開き直ることにした。

作者の心が視聴者の心に与える感想は十人十色だと思うが、
作者の技術が視聴者の心に与える感想はきっと突き詰めれば同じものに辿り着く。
多分こういうところに作り手と受け手の温度差があるんだろうな。


『まとめについて』
この動画のどこに惹かれたのか、ということを語らなければならない。
だが自分の中でも、伊織と千早の一連の行為に惚れたのか、
それを構築して動画に定着させたtlopの意思に惹かれたのか、
その辺がはっきりとしない。

tlopの、動画作者としての立ち位置が掴めない。
動画空間に彼の意識が遍在している印象を受ける。
舞台袖から二人を見守っている印象を受ける。
神の視点から二人を導いているようにも思える。
PCの前に座り頭を抱えている姿が見える。

なぜそんな風に見えるのかというと、
きっとこの動画に反映されたのはtlop自身の姿だからなんだろう。
もうなんというかストリップ級の投影。ちょーえろい。
彼の思い描く伊織の姿を余さず出そうとしたあまり自分の姿まで映りこんでしまったような。
彼の頭の中にはこんなにもはっきりと伊織が生きているという事実が
この動画のもっとも重みのある部分なんだろうな。
それをいままで以上に、異常に精緻に輪郭をなぞったことが最大の偉業だ。




                                               (tlop)




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Author:マスヲホールド
新しく彼女たちと道を歩む婿固め<マスヲホールド>です。
どうか止まらずに進めたらいいな。


画像はマスロダから無断でお借りして候。

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