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羅列してみよう(2)






シンクロについて。




(さあ今までにない重さの表題だぞ。気遅れるなよ俺)

いつかニコマスP達に聞いて回ってみたい事柄の一つに、
「シンクロとは、○○である」をどう答えるかというものがある。
僕が動画製作者であったなら作っている動画に込めたものを
そのまま言えばいいが、視聴者たる僕がその答えを埋めるためには
包括的な言い回しにしなければいけない。
1年半ほどニコマスに触れてきた僕なりの答えは既に固まっている。

身も蓋もないことを言えば、拍のピークとダンスの慣性が反転する瞬間を合わせれば
それだけで視覚効果としてのシンクロは完成してしまうという。
前にtloPが言及していたが、その果てにある動画はこのような形に行き着くだろう。
ただニコマスという土壌、その土壌の中のシンクロという
ある種の信仰はそれだけであることを許さない。
狭義の、定義的なシンクロの姿はただそれだけのものであるはずなのに、
そこに上乗せしたものまでをシンクロという言葉の内側に封じ込めている。
アイドルの一挙手一投足に、あるいは一瞬の表情の変化に、僕たちは心を打たれる。
そのために意識の裏側に回りこむ配置を
狡猾に構築していくメソッドもまたシンクロと呼ばれる。
つまりフィジカルに訴える気持ちよさと
メンタルに訴える気持ちよさの両方に同じ名前が冠せられているのだ。

だからといってその状態が本来的ではない、ずれているものだ、なんてことは言わない。
一方に特化して一方を蔑ろにしてしまうと
その特化してある方の輝きは決して視聴者に届かないからだ。
フィジカルなシンクロだけに特化した動画が空間の密度を埋めることはありえないし、
メンタルなシンクロだけに特化した動画は絶対にモニターの壁を突き破ってくれたりはしない。

僕が好きなのはそんな両側面を備えた動画だが、わざわざそんな事を
考えて練り上げて構成に組み込んでいるなと思うような動画なんてほとんどない。
当たり前の話だ。
そんなところに目標を置いて目指しているプロデューサーなんて
アイドルマスターのプロデューサーではない。
MAD職人や映像作家という肩書きをモチベーションに上に挙げたような動画を作ったのなら
僕は賞賛するが、Pがあれを最終目標に設定するのなら僕は全力で否認する。
(通過するための目標に設定するのであればそれは正しい姿だろうと思う)
僕たちはアイドルマスターのプロデューサーだ。

以上また前置きが長くなったが、僕にとっての答えはつまりこうなる。
シンクロとは、目標に到るための必然的な道筋だ。
視聴者の僕に与えられる全ての感動やときめきや何かの感情は、
例外無くシンクロという道筋を通って伝達される。
動画作者であるPが思う目標(可愛さだったり、かっこよさだったり)が
明確であればあるほど、或いはその目標への到達方法のスキルが
洗練されていればいるほど、その道筋もやがて1本に収束されていくだろうと思う。
「これしかない」っていう感情に掻き立てられることが動画を見ていてよくあるが、
多分こういうことなんだろうと思う。

もちろん全く同じ目標を目指す動画は2つとして無いし
目指すための眼差しもPごとに全く別個のメソッドがあるものだから
それぞれの動画におけるシンクロのあり方は千差万別だ。
動画を通してPの頭の中を覗けるような気分になるのもその辺の関係なんだろうな。

とりわけユニークの方法論のシンクロで構成されるのが、以下に挙げる動画たちだ。
動画内で特にシンクロの波が極まっていると感じた部分を秒数指定で併記してみる。




(0:56の連続カット明けの春香さんのぐるぐると1:10からの連続フェード)

(1:37の「答えは儚く」、3:26千早の腕を前に押し出すアップ)

(0:55「現実"に生"きるなら」の春香さんの腕、1:56千早「迷わない」)

カカオPは、ギターベースドラムスと揃ったいわゆる
バンドサウンド的なシンクロにおいて最高の親和性をみせるPの一人だ。
(別にそんなコテコテの曲で作ってるわけじゃないけど)
もうなんか勝手に「ニコマス界のギター担当」を名乗ってほしくなるほどに
彼の動画の春香と千早はギターの音色を纏っている。

キーボードやヴァイオリンが前面に出てるパートのときでさえ、
彼女たちのダンスはギターやベースに由来して発生しているように見える。
ドラムス(特にキックやスネア)を基準にダンスを組み上げるPは少なくないと思うし
そういうダイレクトなダンスも好きだけれど、カカオPのシンクロはそこから
ワンクッション置いた部分の上に配置されていて、
それがこの多面的なしなやかな雰囲気を生み出しているんじゃないかなと思う。

面白いのがmagicarideの0:51-の流れで、ここでは曲構成を4つに分割して
それぞれの地点から曲に向かっての親和を達成している。
繰り返すリフに対して担当する拍の長さを変えながら
徐々により強く支えるようにダンスと目線を構成している。
その後に続く1:14からのコミュ映像による場面でも、
頭や腕の振りや表情を駆使してシンクロさせている。
そう、このコミュ映像のパートでさえもシンクロなんだ。
コミュカットの7番目にくる春香さんの憂い顔は曲の芯に直結している。

エテルノでは3:09からの独白パートが最大の破壊力を持っているわけだが
2:11からのサビ大サビアウトロという構成の中で膨張し続けたオケの中心で
完璧にダンスを踊りながらの独白だからこそのこの威力なんだと思った。
モニタの壁を破るシンクロっていうのはこういうことだ。




(1:34のThat's the way I(ここ)amの一瞬の溜め)

(1:02のサビ前の美希が左手を前に下ろす部分)

(既に見れない動画を張ってもどうしようもないんだが、この動画は載せずにはいられない)

序文に書いたような、フィジカルとメンタルのシンクロが
死ぬほど強く放射されていたのがこの2つだ。
空間を満たす密度がモニタの壁をまじで壊すんだ。
そこにいるという実在性、をこんなにも強くしっかりと
フレームに収めた動画をこれから先いくつ見つけられるだろうか。
絶対に並大抵のことではない。

上の序文に書きそびれたテーマの一つに、
シンクロというんだから音と映像の2つがあって初めて成り立つだろう、というのがあった。
ものすごく当たり前のことに見えるが、結局その2つをどれほど深くまで
認識して咀嚼して理解しているか、がそっくりそのまま動画に反映される。

玄Pは僕には想像もできない程細かい音も見逃さずに拾い動画にするというイメージがある。
例えばロケットの0:23のカットは普通ViVoDaで分類すると明らかにViでしかない映像なのに
それをDaの要素として動画の中で機能させている。
この一瞬の音にシンクロするカットはこれしかないと言わんばかりの最高の絵だ。
これ1カットだけで、玄Pの曲に対する把握力構築力と、
映像に対して今までどれだけの時間を割いてきたか(ノマPVなどをどれだけ見てきたか)が
雄弁に語られている。こんなのを自然にこなしてしまうPなんて他にいるはずがない。




(2:38背景になっているアピ4連、2:43「ね」の前の超早回し。あとありすえ装備。)

(1:26伊織「イイわ」。もっと細かく言えば「わ」の次の一瞬の余韻)

メカPのシンクロの独特さを一言で表そうとするなら、
すごいレベルで自由が許されているシンクロだと思う。
歌詞に魔法をかけてという言葉がくれば当然のようにダンスも
魔法をかけてで合わせてくるし、犬がついてくれば雪歩が驚く。
慣性とか何かが絶対におかしいような超早回しも平然とやるし、
一つのステージを積み上げようとする意思すら放棄しているような印象すら抱かせる。

なのにメカPのシンクロはまったくと言っていいほど揺らがない。
普通人が寄り道をして手に入れるようなアイテムを直線で拾い集めてしまう。
静止画MAD的な手法で画面をパステルに染めようが
ダンス映像と変わらずにシンクロさせている。

この2作に登場する5人は、全員目尻が丸い(睫毛が描かれていない)。
曲と親和させるメソッドの上でのかなり重要な項目だと僕はにらんでいる。
睫毛の無い子は曲と結線するための端子が
1つ多くあるように感じるのは僕だけかもしれない。
(睫毛組の3(4)人は逆に端子が少ない分ほかの線が太くなっているようなイメージ)

自分でも上手く消化しきれていないが、とにかくメカPは
なんらかの理由でそんな自由すぎる遊びを1つの動画にパッケージする能力を持っている。
映像をひたすら音楽に沿わせた結果、楽曲自体の完成度というか纏まりを
動画全体のものとしているような感覚があるが、まだもうちょっと上手いしっくりくる
表し方があるんじゃないかなぁといつも思っている。



(↓H264版はL4Uでメルヘンメイドが出たら修正しなおすらしいですよ!ふしぎ!)

(1:12春香さんのガッツポーズとそこから続くソロパート)

(0:34-0:49の3人それぞれのテーマソングによるダンス3つ)

(0:31塗りつぶす画面効果の前後のダンスの繋ぎ 0:43「大冒険」の次の両手を開く拍
 1:23-「秘密に触れてよ もう震えない」 1:42三連肘の次のlong→S-longの切り方
 2:38春香さんの右ののワ 3:37-の6カット あと3:37-の6カット)

大袈裟に言えばニコマスPの多くが潜在的なしーなPフォロワーである気がするので、
最初に書いた条件のようなユニークのシンクロではないんじゃないかと思いもするが
やはり誰にもフォローできない部分があったりするのでここではそれを取り上げる。

(追記:これは勿論シンクロの技法に関してだけのことで
 動画全体の色や魅力については各動画ごとにオリジナルだ)

彼の一番ユニークな特徴は、音の成分を採らないことだと思う。
音符単位の曲の把握の仕方ではなく、もっと上澄みを掬うような親和でステージを練る。
ニコマス全体の潮流に比べて基本的に遅めのダンスの当て方であるのは
拍ではなく曲のうねりに沿った作り方をしているせいだと思った。
これは上に挙げた玄Pのシンクロのあり方とは180度方向性が逆のメソッドで、
この辺の上手い具合の対比は考えてみるにものすごく面白い。

上でしーなPフォロワーがどうとか書いたが、より厳密に言えば
PrincessBride!のフォロワーだとしたほうが適切かもしれない。
というのも後期作(いやまだ現役で作り続けてほしいんですけど)の
特にBABY Pなんかは別の世界を切り拓いてるからだ。

例の如くこの人に対しては上手い言い回しが一向に見つからないのだけれど、
この動画はなんというか、それまでのメソッドを一度すべて捨て去って
しーなPの持つ芯だけを残して再構築された方法論で作られているような感じがする。
衣装のせいか振り付けの中でも特に膝が強調される感じ(フレームの外であっても!)は
今までの動画には見られなかった属性なんじゃないか。
シンクロの主軸が上半身から下半身に移行しているような感想を抱いた。
それによってステージの床と演者の体重の感じがよりリアルに視聴者に届けられている。

ちょっと自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた
これだから!これだからこのPはまったく!





(0:48 雪歩 首を横に倒す瞬間に切り替わるカット、
 2:12 やよい にぎにぎ)

(3:11 あずさ 天文台へと「急ごうよ」)

(2:04- とかちソロパート、特にCa(ここ)ramelldansenのUpに変わる瞬間)

(ひとつだけP名が違う動画があるけど誰も気にしないよね)

しーなPの遺伝子がニコマスの動画たちに浸透していく前に
既に自分の方法論を確立してきた所謂黎明期、初期のPは
また違ったスタンダードを持っている。

もっと正確に言おうとするなら、ニコマスよりも先にアイマスを基盤に
ステージを把握している点がユニークの特質に思えるのかもしれない。
具体的に一例を言えば、ダンスチョイスよりもカメラカットを主軸に
シンクロを形成している事などが挙げられるだろう。

ニコニコ動画が出来る前、MADPV自体が殆ど存在していなかった時代に、
2chかどこかにPV晒しスレというのがあったと聞いたことがある。
アイドル選択と選曲とステージとアクセとパート割とカメラ割を
最強だと思える組み合わせでTV出演させて、スレにランキング順位を貼って
XBOX Liveを通じて皆で鑑賞しあう、という場所だ。
ニコマス黎明期のPの何人かはそこで自分の思う最高の可愛さを追求していたらしい。

yotaPがそこに居たかどうかは知らないが、
それがアイドルマスターという素材の醍醐味であるならば
必然的に同じ成分が彼の動画の中に埋め込まれるだろう。

動画配信サイトが登場し、編集によって別のステージを繋げられるようになっても
まずyotaPが向かったのは別のダンスを組み合わせることよりも
多量のカメラでステージを撮る技法だったんだろうと思う。
曲にシンクロするダンスを探し当てるのではなく、
本来の意味で曲とダンスをシンクロ"させる"という方法論だ。

ラブリーにおけるMid-Long-SLongの組み合わせからUpに入る場面
(0:46、1:16、1:47等)は本当にガード不可だし、
ロケット全編にわたるLongとSLongの空間感は見れば見るほどに鳥肌モノだし、
ウマウマで見られる2人以上がフレームに入るUp
(0:46、2:04-)ではものすごい多量のエネルギーが充満している。

曲のエフェクティブな部分(ロケット2:30のズパーンとか)を無視しながら
強引にシンクロさせているその様に
僕は彼の動画の力強さを見ているんだろうなと思った。




(1:09 トゥインクル春香さん、1:11やよいの手、
 1:39 メンバーチェンジ、2:56-春香さんの消失→Up) 

(0:49 真の一瞬の流し目)

(0:03 ギターを合図にロゴin 1:06 雪歩の肩がすくむ感じ)

itachiPのシンクロは、限界まで贅肉を削ぎ落としたようなイメージだ。
動画ごとに設定されているであろうテーマにだけ照準を合わせて、
面ではなく点の繋ぎ合わせのみで動画の尺を埋めているようなPだ。
なにより狂って(褒め言葉)るのが、点であるにもかかわらず
線や面に見えてしまうかのような繋ぎの精密さ緻密さだ。

特にメリーは細かいカットの集合体みたいな動画だが、
その全てに意図と信頼が込められているために
本来不可避に思える「細切れ感」みたいなものをまったく意識させていない。

前の記事でしーなPやリヨ氏の動画を瞬間を積み上げるものと表したが
このメリーは瞬間とその前後の一瞬に眼差しを向けた動画になっている。
点でしかないようなカットを集めてなお曲としての
一連の気持ちよさを際立たせているのは
一つも途切れさせない強い結線が横方向に、
(積み上げるのではなく繋ぎ合わせる方向に)伸びているためなんだと思った。

その繋ぎ合わせる力の強さが別の形で発揮されているのがユラユラだ。
この動画は遠く離れたステージを共有する絆を描いた傑作
(自分で書いててなんてクサい言葉だ)なのだが、
ステージの接続のためのカメラはほとんどの場面で長めのフェードを使用している。
これは互いの想いを伝え合うために必要な長さであり、
真が(見かけ上でも)雪歩のステージに上るための結線になっている。
これだってシンクロだ。
手と足と顔と体で力強いサインを放射しているんだ。

(しかしメリーラストの千早を見ると笑いがこぼれてしまうのは何故なんだろう
 おいしい所獲りじゃねえか!ってつっこみたくなってしまう)




(4:26-の3連カット、あと4:26-の3連カット)

1:04のあずケツ間違えた1:55のうっうっうー、2:44やよターン)

(0:32 カット直前の溜め、2:33千早のあんまり照れてない教科書忘れた)

上のyotaPとは正反対に、ダンスチョイスの力で動画を組むのが
ここに挙げるのみものPのシンクロの真骨頂だ。
勿論曲に合わせたダンスを探すというのはどのPも行う作業だと思うが
それをここまで綿密に深くまでやっているのであれば
やはり彼だけの唯一の特質と呼べるものになるだろう。

16曲分のダンス(当時)に対する把握力もさることながら
それ以上に楽曲に対する理解力が常軌を逸してるんじゃないかと思う。
音符の一つ一つ全てがダンスを支えているような、
ものすごい浮遊感が付与されているステージを作り上げている。

何より面白いのが、そんなモンスター級の曲への眼差しを持っていながら
大部分のパートで曲と映像の間に距離を置いている雰囲気を持っていることだ。
曲とダンスががっぷりと四つを組む場面は動画内に1回とか2回に抑えられている。
Perfumeで言えばそれは4:26-や4:39-であり、
Cargoで言えば2:55-の3者のUpであり、
melodyで言えば1:17のあずささんや2:28-2:30の一瞬の隙間の場面なのだが、
こんな楽曲の奥の奥の奥まで浸透する画面を持っているのに
それを動画全面に巡らせないという構成をとっている。
そこ以外の場面では徹底して「音を眺めるような」ダンスを構築している。
決して擦り寄るような真似はしない。

飽くまで彼のスタンスは高い位置に置かれたスピーカーが
室内を音で満たし、その中でアイドルを躍らせるというものなのだ。
ニコマスでは珍しいと思うが、曲を主、アイドルを従として
その従であるアイドルにスポットを当てるという
回りくどめの表現手段で以ってシンクロを達成させているPだ。

距離をとったままシンクロさせているような手法を
僕は多分このP以外の動画では一度も遭遇したことが無い。




(2:06一瞬の蒼い鳥、そこからの3カット)

上の「メリー」のように細かいカットを集めた動画だが、
こちらは全く細切れ感を隠そうとしていない。
あるのはただ全てのカットに湛えられた必殺の一撃だけだ。

もうなんというかとにかく必殺。楽曲に忠実であろうとして
他のリミッターを全て外してしまったような印象を受ける。

この動画と、同Pのこれこれに共通する特徴として
腕と首によるシンクロというものがあると思う。
仲間内で話をしていてたまに「このPは足でシンクロをとるタイプだ」とか
どこでとるタイプだとかについて考えていて、
わりとPごとにその傾向がきっちりと分かれているんだなと思ったが
(自分がよく見るPはほぼその分析は簡単にできそうだw)
ぼねPの基本的なスタイルは腕や頭の上半身で音をかきわけるようなシンクロだ。

特にこの動画では頭の振りによるシンクロが印象的で、
(0:15,19,24,25など枚挙に暇が無い)これは多分
真の顔のつくり自体がそういう動きに向いているんだろうなと思う。



(0:20- 縦割りの4ショット、0:48 腕を突き出す真、
 1:07- エフェクトからセピア色に変わる瞬間からの2秒間、
 1:14 連続カット中の真の後姿、1:19 一瞬のまこUp
 1:21 亜美の目線 1:42 振り向いたときに目を閉じているやよ
 2:15 やよいUp 2:32- オケに合わせた火花
 2:39 やよい亜美やよいの目線 2:56 やよあみSSの腰
 3:03 やよリレ 3:09 4人で「Tobacco Island」)

そんなぼねPが、PVではなくステージを作ろうとするときっとこうなるんだ。
前に書いた記事でも少しだけ触れたが
今までの動画と違って、もはやシンクロの礎も腕や首だけに頼ったものではなく
肩や胸のような体幹、カメラのパンやズームやカット、或いは照明や目線など
およそ利用できる全てを使って楽曲の全ての要素にぶつかろうとしている。
(勿論僕の視認限界の中での全てであって、他の人から見れば
 まだ手付かずの部分が残されているのかもしれないが)

0:20-の4人の画面は僕にとってものすごく大事なカットだ。
楽曲との競演感、ステージ感、アイドルらしさ、もちろん可愛さも
その全てを凝縮しているような画面で、言葉とは別の頭の回路で感動してしまう。
やはり僕にとってのニコマス動画の最たる要素はステージの上のアイドルの「姿」で
シンクロはその為の手段に過ぎないんだなと改めて感じる。

前にもどこかで書いたことがある気がするが、
視聴者としての僕の好みや感性や何かは全てこのPに根ざしているので
(ニコマス視聴暦はその前からだが、
 Will you-を見たときに認識のあらかた全てが塗り替えられた)
客観的に見つめるための領分が存在しないのだ。
いくら記述しようとしても文章の特異点?に向かうばかりで
一向に具体化されていかない。
だから場面を秒数で指定するぐらいしかできないんだ。
来月は見てろよちくしょうめ

/

実に8P21動画について考えてみたわけだが、
こうしてシンクロの面白みの凝縮されたような動画たちを見て
記事を書き終えてみると、頭の奥に残るのは、また身も蓋もない話だが
どんな動画もシンクロの半分は楽曲の力によるものなんだなということだ。

勿論その源泉を辿っていけば楽曲の力を引き出して動画に定着させたのは
Pなのだから、結局はPの力だとも言えるのだが
(例えば超名作の動画と同じ選曲で僕が素人丸出しの動画を作っても
 その魅力の半分にも至らないのは当然の話だ)
最終的にアウトプットされる動画の中における比率として、
シンクロの魅力の内訳は音と映像が必ず50:50に近くなるという
何かのバランスが働いているんじゃないかと思った。

そういえば「この曲は嫌いだけどすごいシンクロで感動する」とかは
この1年半のなかで多分一回も思ったことは無い。
頭の中で何かの補正が働いて一定に保たれるようなシステムが
きっとあるんだろうな。それが好みというものの正体なんだろう。



しかしこうやってSSも撮らずに秒数指定だけする書き方は
読みにくい事この上ないな・・・
いちいち動画をシークしたりしなきゃいけないじゃないか。
なんたる自分用覚え書き記事。
ここまで読んでくれた人が居れば、本当にありがとうと伝えたいです。
あともっと上手い読みやすい書き方ができなくて申し訳ないとも伝えたいです。



そんな感じで。










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非公開コメント

なんという力作長文エントリ。
私が今もって全く言葉に出来ない部分を言葉にしている気がする。
正直、難解で理解できていない部分が多いけどw
でも、最後の「シンクロの魅力の内訳は音と映像が必ず50:50(以下略」
という一文に読んだ瞬間納得してしまった。
なんとなく今までの自分自身の作品に対する反応が理解できてしまったような。
確かにそれが好みと言うものなんだと思う。

ぼねPの「WILL YOU BE THERE」。
私もあの作品を見たときに完璧な程のシンクロを感じました。
今でもシンクロの最高峰だと思うけど、具体的にどこがどう凄いのかを
説明するのは今でも出来ないなあと思う。
自分が感じた「シンクロが凄い」を表現する事こそ
感想の中で一番難しいことなのかもしれないですね。

コメントありがとうございます。
長文な上に読み手フレンドリーさのかけらも無いようなめんどくさい文章なのに最後までお付き合いいただき本当にありがとう。
ニコマスMADPVにおいて、映像と音声はほとんど例外なく互いに互いを高めあう存在だと思ってます。動画作者も楽曲アーティストも視聴者も誰も意識しなかろうがそれは定まってるもので、まぁ世界の法則みたいなものの一つなんだろうなと気持ちで書いてみました。

マイケルについてはこの1年で何百回と見てると思われるのに未だに意味がわかりませんw
意味がわからないならわからないまま来る11月に備えたいと思っています。

コレは作り手にとってガツンと効く文章ですね。

完璧に理解して租借して自分の作品に生かすには
何度も読み返す必要がありそうですが、
作品を作る上での糧にしていきたい、そう思わせる
力が篭った文章でした。

正直、「凄い!」って事の何が凄いのか
具体的に書ける力のある人が羨ましいです。

それではー。

コメントいただき&お読みいただき本当にありがとうございます。

動画全体の内容ではなく細かく分割した成分について書いた記事なので、大掴みでなんとなく理解するような感じにはなりにくい文章だなぁと自分でも思っていますw
ただ今回挙げた動画たちのシンクロはどれも唯一にして最高に面白いものだというのは確信してますので、俺の文章を忘れてでも動画たちを何度も見ていれば絶対に糧にはなると思います。

糧という意味ではこの中だと玄Pの動画が一番だと思うんだけどどっかで今でも見られる方法とかないのかな・・・(玄P自身には申し訳ないけど)第三者うpとか・・・

シンクロ論流行?

 言われてることは漠然としかわからないので、時間があれば、自分でもっとザックリしたシンクロ論を書いて見たい気もするんだけど、そんな時間がない(^^;)。
 でも、ここに挙げられた動画を見るだけでも訴えるものはあると思います。シンクロは単なる社交辞令じゃなくて、多くの可能性を含めたれっきとした技術なんだということを語るのは大事なことだと思う。労作御苦労様でした。

まあ自分でも漠然としかわかってないことをできるだけそのまま記事にしようとしちゃってるので、理詰めの確信みたいなものはこの記事には存在しないんですねw
その領域に踏み込むには見るもっぱらのミルモの感覚論ではまったく歯が立たないだろうと思います。本当に地に足がついたシンクロ論みたいなのはニコマスPに任せるほかは無いです。
自分に出来るのは、製作者達にしか解析できないようなことも(あやふやな形ではあっても)確実に伝わっているんだと叫ぶことだけだと思ってます。

最近ブログ界隈でシンクロについての面白い記事が沢山上がってますが、自分のブログが流行に乗ったのは開設の時ぐらいでほかはずっとのらりくらりやってきたものなので、多分偶然なんでしょう。シンクロニシティってやつです。(したり顔で)

zeitさんが記事書くならきっともっと音を分割してその間に分け入ってくようなものになるのかもなぁと今妄想しました。ちょっとだけ楽しみにしていようと思いますw

こんな記事を最後まで読んでくれて、本当にありがとう。
プロフィール

マスヲホールド

Author:マスヲホールド
新しく彼女たちと道を歩む婿固め<マスヲホールド>です。
どうか止まらずに進めたらいいな。


画像はマスロダから無断でお借りして候。

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